(無駄に)詳しいプロフィール

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はじめまして!

「海外移住女子」を運営しているYukaです。

目次

簡単な経歴

1983年生まれ。岐阜県出身。

岐阜→名古屋→東京(4.5年)→インドネシア・ジャカルタ(2.5年)→ベトナム・ホーチミン(1年)を経て、2016年1月からタイ・バンコク在住。

東南アジア3ヶ国目、海外生活6年目。

あれよあれよと医学部受験失敗、気づけば大学受験3浪!

開業医の父、専業主婦の母。3人兄弟の末っ子です。
非常に優秀な兄姉に比べ、おバカさんキャラの末っ子として、蝶よ花よ、と育てられました。

田舎の優等生として、健康優良児に選ばれたり、生徒会長をしたり、運動会の応援団長をしたけれど、特に華やかでもない小中学校生活を終え、県下ナンバー1の進学校の高校に入学しました。

ボヤッとしてたせいで高2から成績転落。
何事もですが、築き上げるのは難しく、落ちるのはあっという間ですね!

母のすすめで、学校が終わってから片道1.5時間ほどかけて県外(名古屋)にある有名進学塾に通ったものの、まったく成績が上がりませんでした。(岐阜と名古屋は隣同士です)

それもそのはず。この塾では、岐阜の高校では出会えないタイプの「あか抜けててお洒落で成績優秀な高校生(に当時は見えた)」の友人がたくさんできたことがうれしくて、一緒に遊んでばかりで勉強していなかったからです。

振り返ると、ここがわたしの人生における、ながいながーい「親不孝物語」のスタートです。
かなり長く続きます。

成績はパッとしないのに、プライドは高いまま、現実を見ないまま。

父が医者であり、姉も医学部、高校の同級生も、塾の友人達も親は医者という家系が多く、何も疑問を持たぬまま他の選択肢を考えることもなく、友人達と同じ医学部を目指していました。

医者以外ってなにか職業あったっけ? そんな狭い価値観。

誰か知人の話題が出ると「えっと、××ドクターの息子さんは、いま何病院の何科勤務だよね?」のような、「医者の子供は医者である」という前提で会話が進む世界です。それが当たり前だと思っていました。

初めての1人暮らしにウキウキだった1浪目、なんだかよくわからないうちに過ぎ去った2浪目、グレーな記憶しかない3浪目

現役での大学受験は、もちろん医学部不合格。

1浪目は、名古屋の駿台に通いました。

実家から通学できる距離であったにも関わらず、なぜか塾の提携寮という名のマンションにて、人生初の1人暮らしをスタートしました。

勉強ばかりで運動不足になっちゃうからジム行きたい!と、マンション近所のフィットネスクラブにも入会しましたが、1度か2度ジャグジーバスを利用しに行っただけで、設備を全く利用せずに会費を払い続けて終わりました。(もちろん費用は親が負担)

肝心の受験ですが、同じ予備校の彼との恋愛に溺れて勉強しなかった結果、当然の医学部不合格。(ちなみに彼は合格しました。いまでは幸せな家庭を築いているそうです)

2浪目は気分を変えて、名古屋の代ゼミに通いました。

1浪目の反省を活かし、実家からの通学です。実家の近所のフィットネスクラブに入会し(以下略

夏期講習代や冬期講習代など多額の費用を当然のように親にもらい、(1浪目よりは)勉強したものの、残念ながら医学部不合格でした。

この時点でもっと真面目に自分の人生を考えるべきでしたが…そのままスルッと3浪目スタート!わお!

3浪目も、実家から同じ代ゼミに通いました。さすがに3浪目は猛烈に勉強しましたが、結果は医学部不合格。

21歳で初めての大学生!滑り止めのセンター利用で、私立の薬学部に合格

受験生活3浪目を終えて迎えた春。わたしは21歳になっていました。

現役で大学に合格した同級生は、なんと大学4年生!もう就活中です。

「そろそろ受験生も飽きたんじゃない?一度くらい大学生してみたら楽しいと思うよ」という両親のアドバイスで、滑り止めの薬学部に入学しました。

わたしには医学部受験の勉強貯金があったせいか、専門過程に入る前の1年生の授業内容ではほとんど勉強しなくてもトップの成績が取れてしまったんです。

教授たちや同級生から一目置かれる存在です。

1浪目はともかく、 2浪目からは地味で、暗く、長く、つらく、目標達成できなかった敗北感のみを残して終わった医学部受験生時代とは全く違います。

巷の大学生ってこんな楽しい生活してたの!?サークルに入ったり、高校時代の同級生たちと遊んだり、遅れてきた青春を全力で謳歌する毎日。

薬学部卒業後の人生が描けない

でも、内心モヤモヤしたまま。

安くない学費を払ってまで、わたしはこのまま私立の薬学部で学び続ける価値はあるのだろうか?

こんな態度でいたら、一生懸命勉強して薬剤師を目指している他の薬学部生たちに失礼なのではないだろうか?

「辞めるなんてもったいない。とりあえず薬学部を卒業して、国家試験に合格して、薬剤師免許を取っちゃえば、結婚して子供できてからパートに出る時にも有利なんだから、がんばりなさい」と教授たちに何度も説得されましたが、

「パートに出る時に有利?それだけ?」

このまま薬学部で学び続ける意味が見いだせず、両親や教授の反対を押し切り1年で退学を決めました。

その後、友達の寮の床で寝起きしたりカリグラフィーのクラスにもぐりこんだり…はしていませんが、あの有名なスタンフォード大学のスピーチ内で、大学を中退したときの心境を語るスティーブ・ジョブズには非常に共感します。

薬学部を中退したわたしは、22歳になっていました。
現役で大学に合格した同級生は、社会人になりました。

薬学部を中退後、最後のチャンスということで医学部受験を再開。自分を追いこんで勉強したものの、ギリギリで医学部不合格に終わりました。

誕生日を過ぎ、わたしは23歳になっていました。

人生の暗黒期到来!実家で(ひきこもってない)ひきこもりニート時代

「医学部合格」がわたしにとって何を意味していたのか、どうして当時は他の選択肢が見えなかったのか。

当時のわたしと話し合いたいテーマです。もっと柔軟に、自分を開いて、いろんな方の話を聞いて、他の生き方の選択肢も考えて欲しかった。(切実)

現役時代を含めて5度の大学受験を経験するも目標達成できなかったわたしは、勘違いだとしても「目標」だと信じていたものがあるうちはよかったのです。まだ希望があったから。

それすら失い、すべてにおいてやる気を失いました。

もう医学部じゃなくても薬学部じゃなくても、大学には行かない。

大学なんて意味がない。

何もしたくない。

人生どうなってもいい。

わたしはこのまま何も生み出さず、だらだらと家にこもって生きてゆくんだ。

わかりやすい自暴自棄。これが絶望というものでしょうか。実家でニート生活が始まりました。

どうやってまた社会にエントリーすればいいの?

そんなニートのわたしにもお付き合いしている方がいたのですが、彼とのデートがある日以外は家にひきこもり。

朝から晩までテレビを見て、お昼寝して、ネットサーフィンに明け暮れる生活。この時期におそらく一生分のワイドショーを見たと思えるくらいです。

夕食の席で「今日何かおもしろいこと、あった?」と両親から尋ねられても、ワイドショーの内容くらいしか答えることができません。消えたい。

そんな生活を送りながらも、心のどこかで「このままじゃダメだ。なんとかしなければ」と思っていた(気がします)。

学校や職場という、わかりやすい「所属」のない心許なさ、生きづらさ。

日本において大多数のひとが信じている、暗黙の「レール」

『高校を卒業して大学に入り、就活をして会社に勤める。適齢期になったら結婚して出産して子育てして家族を作る』

から外れてしまった場合、どうやってまた社会にエントリーすればいいのか?わからない。

医学部に進学した同級生たちは輝いて見えました。わたしはただただ、劣等感のカタマリでした。

【書評】居場所がある人間には、ない人間のことが想像できない/「おとなの進路教室。」(山田ズーニー著)

2017.06.27

転機① 大人が平日昼間からお酒飲んでる!

イメージ図。これは先日訪れた品川の鉄板焼きレストラン(笑)

当時付き合っていた社会人の彼(名古屋在住の資産家の息子)からは結婚して専業主婦担ってほしい、とも言われていたので、彼と結婚して、名古屋で優雅な専業主婦生活するのがベストな逃げ道かも?VERY妻になっちゃう?と心揺れたりもしました。(VERY妻とは、ざっくりいうと女子の憧れをまるっと詰め込んだ女性像です笑)

ワイドショーだけの生活にも飽きたのか、相変わらずニートだけどひきこもりではなくなり、誰かと話したくて、名古屋(東海地方ではぶっちぎりの都会)で遊ぶ生活が始まりました。といっても、意外と厳格な家庭なので門限までには帰ってこなければならず、不良娘にもなれませんでした(笑)

アルバイトもせず、両親からおこづかいをもらって遊んでいました。

そんな中で知り合った、ある起業家女性のライフスタイルや価値観を知って、衝撃を受けたんです。

傍から見たら非常にちっぽけだけど、わたしにとってはすごいこと。

その後、東京や海外生活でいろいろな方と出逢い、さまざまなライフスタイルを知った今のわたしから振り返れば、彼女のライフスタイルは特に驚くものでもないのですが(毎日ランチにワインを欠かさなかったのは今でも驚きます)、「世の中にはいろんな生き方があるんだなあ」「毎日、会社や病院に通勤するだけではない、こうゆうライフスタイルもいいなあ」という漠然とした想いをもつようになるきっかけでした。(遅い笑)

東京への憧れが止まらない

12月末、東京に行きたくなったんです。ずっと心の中にあったものの、抑えてた想い。

それが抑えられなくなったんです。突然に。

地方出身の方には共感してもらえるでしょうか?

「東京に行けば何かある、もっと面白いものや素敵な出会いがあるはず!」

そんな気持ちが抑えられなくなりました。若さですね(笑)

すでに24歳。学歴は、大学中退のニート。

このスペックで上京して東京生活をスタートするために、両親に納得してもらい、サポートしてもらえる方法は?

かつ、自分にとって一番ラクで最短で実行可能な方法は?と考えた末、東京の大学に行くことに決めました。両親がわたしに大学を卒業してもらいたいのは知っていたので。(必死にアルバイトして、貧乏生活でもいいから上京したい!とまったく考えていなかった自分の思考回路が…)

受験まで残り日数が少なすぎたので、受験科目数の関係から国立大学は諦めて私立大学に絞りました。

早稲田か、慶応か。英語だったら上智?東京の私立大学って他にどこがあったっけ?受験歴は長いのに医学部しか考慮に入れてなかったわたしは、他大学や他学部情報に疎かったのです。

ICU(国際基督教大学。秋篠宮家の眞子さま、佳子さまも通学された大学)に心惹かれました。

受験科目がちょっと特殊(英語、知能テスト、論文)で、過去問を1年分解いてみたら全然できなかったのですが「いけそうな気がする!」という根拠なき自信で、対策もほどほどに受験日を迎えました。

出題傾向がかなり変わった年だったこともあり「やっぱり全然できないやーん!」と心の中で叫びながら受験終了。もう二度とこの大学を訪問することはないだろう、と思いながら帰路についたのを覚えています。雨の降る、寒い冬の夕暮れでした。

誰もが記念受験に終わるだろうと思っていたところ、奇跡的に合格しちゃったんです!(人間って本当にびっくりすると体が宙に浮くということも学びました)

転機② アメリカンな学生生活…東京三鷹だけどね

卒業式後の写真撮影時。ハリーポッターぽいですよね(笑) 

2008年4月、上京。24歳。2回目の大学。
人生初の東京での1人暮らしスタート。

ICUで出逢った、様々なバックグラウンドを持つ同級生達(ほぼ全員6歳年下)の存在なしに、いまのわたしはなかったと本気で信じています。

6歳も年上の同級生であるわたしを、何も気にせず受け入れてくれた彼女たちからは、非常に多くの刺激や、現在まで続く惜しみない愛情を受け取っています。

新卒海外就職や、突然の転職&移住のような、わたしの思いつきの大胆な行動を告げたときも「えー!おもしろい!いいじゃんいいじゃん!Yukaが決めたのならそれでいいと思う!遊びに行くねー!」と、一瞬の間もなく本気で賛同し、応援し続けてくれています。(そして、わたしの移住先にすぐに遊びに来ちゃうひとたち笑)

卒業後、日本だけじゃなくアメリカや香港など物理的に離れている友人たちとはなかなか会うことは難しく、がんばっても1年に1度集まれたら上出来なほどですが、彼女たちの存在がわたしの支えとなってくれています。

そんな彼女たちとの出逢いは「勧誘時の先輩がみんなかわいかった!」という理由のみで入部したラクロス部。

文科系のイメージのICUとは思えないようなガチな体育会系の部活で、朝まで飲んで、二日酔いのまま朝練に出る生活。(これはわたしだけかも)

泥まみれで、無駄に体力がつきました。年下の先輩から怒られまくったのも今じゃいい思い出です。

この大学は他の大学と比べても帰国子女率、外国人留学生率が非常に高く、学内はアメリカン。

英語が飛び交い、他人の目線は気にしない、自分がやりたいことをやる、人と違うことを恐れない、そして他人のやり方を否定しない、というような個人主義の学生が多く、わたしも影響を受けました。

そんな環境で、英語も好きだったこともあり、海外に住んでみたいという漠然とした憧れが強くなりました。

帰国子女ではない、純ジャパな自分。

「どうしてわたしの父は商社マンとかメーカー勤務じゃないのか?開業医なんて海外駐在がないから、わたしは帰国子女になれなかったんだ」と、よくわからない八つ当たりみたいな気持ちもあったのは内緒です。(父には感謝しかありません)。

親不孝物語はまだ続いています。

名古屋で優雅な専業主婦しちゃおっかなの夢、破れる

地元を離れた東京での大学生活。

東京と名古屋は遠くないし、長期休暇に地元に戻ってこれば会えるから大丈夫!と名古屋の彼と付き合い続けていたものの、実際に大学生活が始まってみたら長期休暇にまったく帰省しないわたし。

夏休みに短期交換留学でアイルランドに行ってみたり、ラクロス部の練習に明け暮れたり。

そんな生活が続き、一時期は結婚も考えていた名古屋の彼との遠距離恋愛は終わり、破局。

その後、東京でできた彼氏とも別れたため、後ろ髪を引かれるパワーが弱まり(やっぱり恋人を置いて単身海外移住するのって気がひけますよね?)海外で暮らしてもいいかも!と思うようになったんです。

海外で暮らしてみたい。じゃあ、外交官になる?

海外で暮らすにはどうしたらいいだろう?と考えたわたしは、短絡的に「外務省に入って外交官になる」ことを思いつきました。当時のわたしを、誰か止めてあげてほしい(笑)

大学在学中に、またまた両親にお願いして学費を払ってもらい資格学校に通って勉強しましたが、あっさり撃沈。甘くない世界です。両親をまた悲しませました。

28歳新卒の「国内就活」

外交官試験の勉強と並行して大学3年の終わりから髪を黒く染め、新宿伊勢丹の写真館で証明写真を撮り、皆と同じようなリクルートスーツを着て就活の真似事をしてみました。

自分でも何がしたいかわからない、年齢もちょっといってる、そんな中途半端な就活生に内定が出るはずはないです。

まだ、迷いが消えていませんでした。わたしも日本の企業に就職して、「レール」に戻ったほうがいいのか?戻るべきなのか?

でも年齢だけは同じ28歳たち(社会人生活6年目)は、わたしが戻ろうか迷っている「レール」のかなり前を走っています。わたしはいまからどうやって彼らを追いかけ、その差を縮めればいいんでしょうか?

転機③ 「帰国子女でもないフツーの日本人が、東南アジアの日系企業に海外就職し、海外暮らしを経験できる」東南アジア海外就職という選択肢

転機は大学卒業の数ヶ月前。2012年4月。

卒業に必要な単位も足りており、2012年3月末で卒業できたのにもかかわらず、このタイミングでは卒業したくない気分になり1学期分を休学しました。卒業を2012年6月末に延期したんです。

(留学生や海外からの編入生のために、9月入学/6月卒業もできるシステムがあります)

休学したわたしは、何をやっていたか?

特に何もしていなかった気がします。これを読んでるほうもイヤだと思いますが、書いてるほうもイヤになります(笑)

街をぶらぶらしたり、平日昼間に新宿御苑で見知らぬ外国人観光客と一緒に寝転がって日光浴してみたり、飲み屋で飲んだくれてみたり、大型書店で1日中立ち読みしたりしている中で、運命の1冊と出会います。

吉祥寺の三省堂でわたしを待っていた本のタイトルは「はじめてのアジア海外就職」

「帰国子女でもないフツーの日本人が、東南アジアの日系企業に海外就職し、海外暮らしを経験できる」というキャリアがあることを知りました。

著者は海外就職研究家 森山さん(通称もりぞおさん)。

この本を購入直後、翌日開催のもりぞおさんのセミナーに空席が出た、との情報をTwitterでたまたま発見!暇だし、海外就職の話よりも、もりぞおさん本人を見てみたいという理由だけでセミナーを申し込みました。

「アジア海外就職」が気になるあなたへ。え?まだ「セカ就!」読んでないの?

2017.07.04

セミナーにて、もりぞおさんからGJJ(グローバル人材塾。海外就職を支援する人材エージェント会社)の評判を聞き、すぐにコンタクトを取って無料カウンセリングを申し込みました。

カウンセリングを担当してくださったのが、GJJの女性CEO田村さつきさん。さつきさんとカウンセリング中に意気投合し「東南アジア海外就職」に挑戦することを決意します。

その場のノリで新卒海外就活!

一般的には、日本で就業経験のない新卒学生が海外就職することはオススメされていませんし、わたしも積極的にはオススメしません。

「新卒の方は、海外就職は無理です!」と言われるんだろうなあと思いながら、カウンセリングを受けに行きました。この時点では、どうしても海外就職したい!という強い想いはなかった(と自分では思っていました)。

カウンセリングにて。海外就職と全然関係ないことばかり話していた中で、

「Yukaさんは新卒だけど28歳、それになんかちょっと普通じゃないから、たぶん大丈夫だと思うわ〜!やってみましょうよ〜!」という、エージェントさつきさんの根拠ない発言に俄然やる気となり、新卒海外就職を決意しました。

心の声が聞こえた日。わたしが新卒海外就職を決めたきっかけ

2017.06.28

大学卒業旅行を兼ねた就活旅…行き先はインドネシア・ジャカルタ!

就活中なのに、バリ島にも行きました(バリ島ってインドネシアなんですよ笑)

大学卒業式の1週間後、2012年7月。

さつきさんのサポートを受けて、なんとか作り上げたCV(職務経歴書)と履歴書を握りしめ、単身インドネシア・ジャカルタに飛び立ちました。

海外旅行には何度も行っていましたが、渡航先はすべて先進国で、家族旅行やグループ単位で参加の交換留学のみ。

実はこれが初めての海外1人旅。

ふり返ると、これがわたしの大学卒業旅行だったんですよね。大学の友達みんなが卒業旅行としてヨーロッパ周遊をしていた中、わたしはジャカルタ…しかも就活旅(笑)

旅費を出してもらっていることもあり、両親を心配させたくなかったので「治安がよくないといわれているジャカルタでは、シンガポール在住のICUの友達にアテンドしてもらうから大丈夫!」と説明して(支離滅裂)

大学の友人たちにはあえて内緒のインドネシア就活旅でした。あとからびっくりさせたかったから、ただそれだけで。(でもあっさりと宿泊先のインドネシア人スタッフにFacebookでタグ付けされて、バレました)

約3週間インドネシアに滞在し、風邪ひいて死にそうになったり、下痢になったり、タクシーでぼったくられたり、洪水に巻き込まれてスーツべったべたになったりしながらも、面接を6社受けました。(そういえば、就活中なのにバリ島にバカンスにも行きました!)

日系大手IT企業の現地法人の秘書・営業職からオファーをもらい、インドネシアで社会人デビューすることが決まりました。

逆張りで?インドネシア

海外就職の一番の問題は「就労ビザ」

海外就職にチャレンジする!と決めたものの、どうしても行きたい国があったわけではなかったんです。ビザが取れそうな国の中から選べばいいや、って。

就労ビザの発行条件は、刻一刻と変化します。

2012年7月時点で「日本人の新卒学生でも、就労ビザを発行してくれる可能生が高い国」という条件から、タイまたはインドネシアで就活することを上記エージェントさつきさんから提案されました。
(2017年現在、状況は大きく変わっていますので最新情報をご確認くださいね)

今なら、海外就職を考えている方には「絶対に1度でいいからその国に旅行してみて。その国で暮らせるかどうか、自分の目で見てきたほうがいいですよ!」とアドバイスします。

やっぱり、ひとと国とのマッチングって絶対にあるので。

しかし無謀にも、当時の私はタイにもインドネシアにも行ったことがなかったんです!

タイとインドネシア、どちらの国で就活する?

参考意見を聞くために相談した方ほぼすべてから猛プッシュされたのは、タイ就活。

「絶対にタイ!バンコクは日本人在住者も多くて、本当にいいところだから!」

「ジャカルタ?やめておきなさい。日本人も少ないし、インフラも整ってないし治安も悪い。日本人の女の子が1人で住むような国じゃないよ!

ご覧ください。こちらがタイ・バンコクの高架を走るBTS(電車)です。

タイ・バンコクのBTS(高架電車)!

次にこちらをご覧ください。インドネシア・ジャカルタの(お祭りの日の)大通りです。もちろん電車はありません(笑)

それを聞いたわたしが考えたこと。

「なるほど。みんながそうやってタイを選ぶなら、ジャカルタのほうがなんか面白いこと(interesting, funnyどちらも)ありそう!」

と軽い気持ちでジャカルタを選びました。今だから言える。タイ最高(笑)

インドネシア・ジャカルタへ移住

とにかく人が多い!とにかくみんなモールに出かける!

ジャカルタ就活旅から日本に戻ってからの、怒涛の1ヶ月間。

東京の一人暮らしから実家への引っ越し、荷物の処分、移住に必要な公的書類の準備、大好きなひとたちとの送別会。

あっという間に時が経ち、トランク1つに全財産(と希望!)を詰めて日本を離れました。

2012年9月1日。インドネシア・ジャカルタ生活スタート。

なぜか全く不安はありませんでした。

今思えば、無知ってある意味すごいな、って。ジャカルタについて何も知らなかったからこそ、先入観なしで向かっていけたんだと思います。

半年前までのわたしは東南アジアに全く興味がなく、アジアといえば香港とシンガポールしか訪れたことがなかったのに、住めば都!

 

…と言えたらいいんですが、「住めば都ですよ!」と笑えるようになったのは、いつ頃からでしょうか(笑)

インドネシア人同僚たちと!誰かのお誕生日があると、主役がケーキやケンタッキーフライドチキンを大量購入してふるまうルールでした。

ITにまったく興味もないしスキルもないのに、IT企業に入社してしまったから、さあ大変!

事前に聞いていた通り、まともな研修もない中で新卒といえどもやるしかない!

鬼軍曹のような美人上司(日本人)に怒られ続けて陰で泣き、さらに日本人とは全く違うインドネシア人の仕事ぶりにも悩まされました。

彼らは発言が分刻みで変わったりします。怒られそうなことがあると会社を休んだりします。

渋滞がひどすぎて膀胱炎になりかけたり、とにかく必死な毎日でした。

(かなり記憶が美化&抹消されているので「つらかったことは何ですか?」とインタビューされると思い出せないのが、最近の悩み)

サテクリット!焼き鳥の皮のピーナッツソースかけ!おいしいけど、太らないわけがない!笑

揚げ物が多い(でもたまに食べると美味しい!)インドネシア料理を食べ、夜は接待や飲み会で〆のラーメンは欠かさない。それなのに、歩道がないからまったく歩かない生活。

体重が13kg増量しました。

うれしいことも、悲しいことも、悔しいことも、何もかも、日本にいたときとは比べものにならないくらいの振れ幅で感じていました。

そんな想いをを伝えるために毎日欠かさず書いていた、気のおけない友人たちへのチャットやメールの内容は、、、今では怖くて読めません。何が書いてあるか思い出せないけど、墓場まで持っていく覚悟です。

けれども、社内外でご縁に恵まれ、ジャカルタ在住の日本人達に助けられて、インドネシア人の友人もでき、ジャカルタに来てよかったなあ、としみじみ喜びを感じる日々を過ごしていました。(殺人的な渋滞を除いて)

特に大学同窓会のジャカルタ支部で知り合った、海外経験豊富なダイナミックは諸先輩方にはかわいがっていただき、いまでも仲良くしていただいてます。

ICU同窓会ジャカルタ支部のお食事会にて。

わたしが仕事に慣れ、インドネシア生活にも慣れ始めるにつれ、鬼軍曹のような美人上司とも分かり合えるようになり、彼女の本当の想いを知り、気づけば姉妹のような関係になっていました。

余談ですが、中国語が堪能で香港駐在の経験もある彼女は、ご主人の仕事の都合で日本でのキャリア(バリバリの商社ウーマン)を中断し、インドネシアで駐在妻として専業主婦をやっていたのですが、暇すぎて働きたい!ということでジャカルタでも働きだし、縁あってわたしの指導官となったのです。

「お勉強と英語はできるけど、仕事のできない、初めての新興国で社会人デビューの28歳女子」の指導には苦労したと思います(笑)

彼女からは仕事面だけじゃなく、生活面でも「新興国でのサバイバル術」をとことん叩きこまれ、そのマンツーマンレッスンのおかげで今のわたしがあります。

彼女はインドネシアの後は韓国に移住し、いまは一時的に日本にいますが、いまでも”海外移住女子”の先輩として迷えるわたしにアドバイスをくださるメンター的存在なんです。

このような、日本にいたら知り合えない方々との出逢い。

大人になってからこんなお友達がいっぱいできるとは、夢にも思っていませんでした。

日本とインドネシア、どっちで働くのが大変なのか

わたしが単身でインドネシア生活していることについて、日本で働く大学時代の友人たちからはすごいと言われ続けていました。ジャカルタにもすぐに会いに来てくれ大好きな友人たち。

わたしは海外在住だけど日系企業で働いていたし、プライベートでも日本人コミュニティに助けてもらっていたので、居住場所が日本じゃないだけで、特にすごいことをしている意識はありませんでした。

タクシー運転手やレストランの店員さんに日本語や英語が通じないからめんどくさいなあ、とたまに思うくらいで「わたし、海外にいるんです!」って気持ちが全然なかったんです。鈍感なんですかね(笑)

そんなわたしよりも、日本的なさまざまなプレッシャーの中、たとえば日本的な同調圧力だったり、満員電車での通勤等も含めて、日本でがんばって働いている友人たちのほうがすごいと思っていました。

むしろ、私のほうがラクなほうに逃げてないか?と。

こうゆうのを何不自由ない生活というのかも

いつでも行けるから全然行かないプール(笑)

通勤には平社員の私でも専用の社用車(運転手付き)が与えられ、どこに行くにも専用車で送り迎え。

2年半のインドネシア生活中、ゴルフ場以外で傘を使った記憶がないくらいです。そうそう、ゴルフも始めたんです。

住居は、プール・フィットネスジム付きの高級コンドミニアム。洗濯や掃除はメイドさんがすべてしてくれました。

このままジャカルタにいることもできたし、人間関係も心地よすぎたのですが、「動かなきゃ!」という心の声が聞こえたような気がして。

2014年12月末、友人たちとの忘年会のために訪れたベトナム・ホーチミン。

インドネシアとも違う、新興国がゆえのエキサイティングさに一瞬で魅了されてしまいました。滞在中にすぐ数社面接を受け、興味のあった広告代理店からオファーをもらいました。

ベトナム・ホーチミンへ移住

ホーチミンの観光名所の教会

テト(旧正月)のイルミネーション

ベトナムといえば、のバイク渋滞

食べると余計お腹がすく、PHO

同僚のベトナムガールズと!遠近法だと信じたい…わたしが巨体すぎる(笑)

2015年2月、ベトナム・ホーチミンに移住。日系広告代理店の営業職に転職です。

テレビCM撮影に同行する出張でベトナム各地を訪問したり、イベントやテレビ収録など、さまざまな現場に立ち会ったり、仕事内容は想像以上にエキサイティングで面白かったです!

ベトナムは南北に長いので、南部のホーチミン⇄北部のハノイは飛行機で所要時間2時間強。逆に、ベトナム・ホーチミン⇄タイ・バンコクは所用時間1.5時間。ハノイに行くなら、バンコクへ行きたい(笑)

基本的には飛行機移動でしたが、ときどきはローカルの長距離バスも利用しました。

どローカルの長距離バスターミナル

一番仲良くしてくれて、人生の悩みを語り合ったベトナム人同僚コピーライターと。排気ガス対策ばっちり。

帰りは深夜。夜行バスで6時間?運転手の眠気覚ましなのか、車内BGMが爆音すぎて眠れない(笑)

仕事内容は楽しい半面、業界特有の長時間労働や終業後の呼び出しも多く…かなりきつかったです。

ベトナム生活でもプライベートでは人間関係に恵まれたのですが、短期間の旅行(忘年会参加のためのベトナム旅行)では魅力的に思えたベトナムの街並みやベトナム人の印象が、実際に移住してみると大きく変化してしまいました。

同僚たちとは仕事の途中、夕方おやつを食べに行ったり。これは「ホビロン」といって、孵化しかけのアヒルの卵です。結構グロいです(笑)

もちろん彼らは変わっていません。わたしの捉え方の問題です。

ベトナム大好き!と毎日エンジョイしている在住日本人の方のほうが多いのに、どうしてわたしはこんな気持ちなんだろう。結構、悩みました。ベトナムに一目惚れして、移住してきたのに。

汚い屋台ばかりだとイメージされているかもしれませんが、ホーチミンってびっくりするようなおしゃれなカフェが多いんです!ここはお気に入りのひとつドンコイ通りの「THE LOFT CAFE(ロフトカフェ)」

こちらも好きだった、ドンコイ通りのカフェ「LUSINE」

自分で選んでジャカルタを離れた。自分で選んでホーチミンに来た。

まだ数ヶ月しか勤務していないんだから、ここで辞めちゃだめだ!と自分を励まし日々をやり過ごしていました。ここにきて、なぜか日本的な発想(笑)

体重はさらに2kg増えました。

ベトナムにいたくない。でも、日本に帰りたいわけじゃなかった。

運命を変えた、1通のLINEメッセージ

そんな憂鬱な(あ、憂鬱って言っちゃった)ベトナム生活を変える転機が訪れたのは、2015年10月末。

ジャカルタ時代の飲み仲間で、とてもお世話になったおじさまからのLINE。

「日本人の知人がバンコクで女将のお仕事やってくれそうな日本人の女の子探してるみたいだけど、Yukaちゃんのお友達に誰かいないかな?」

なぜかピン!ときて、「私がやりたいです!」と手を挙げました。

このチャンスを逃すわけにはいかない!

勢いだけで急遽バンコク行きの航空券を購入。翌日の終業後、会社から空港へ直行してバンコクに飛び、ビジネスオーナーにご挨拶しに行きました。

オーナーの方々は、仕事帰りにはるばる(といっても1.5時間!笑)ベトナムから乗り込んできたわたしのやる気を歓迎してくれるのと同時に、心配もしてくださいました。

この業界は未経験だけど大丈夫?ご両親が反対しないかな?OLさんとはワーキングスタイルが違うけど大丈夫?など。

確かに全くの未経験だったけれど、「この仕事、絶対おもしろい!私に向いてる!」という心の声のみで、わたしの決意は固く、勤務先に退職届を提出して急いで引き継ぎを終わらせました。

退職までの1ヵ月、バンコクよりホーチミンからのほうがアクセスしやすい国、かつ、陸路で国境越えがしてみたくなって、カンボジア・プノンペンのショッピングモールAEONの惣菜寿司を買いに行くという目的だけで、夜行バスで1人旅しました。(当時のマイブームは、東南アジア各国のAEONモール巡り)

その後、日本に一時帰国して約1ヶ月滞在。

その間、ジャカルタ時代の美人上司に会いに韓国・ソウルに遊びに行ったり、だいすきな人たちがたまたまバンコクに集まると聞いて、急遽ソウルからバンコクに飛んでみたり。(12月の極寒ソウルと南国バンコクの寒暖差がやばすぎました)

運命のLINEから2ヶ月後、バンコクに移住しました。

タイ・バンコクへ移住

ゾウさんの皮膚…基本的に動物全般どう対応していいかわかりません

あの時の私の心の声は当たった。

もう少しベッドで寝ていたい、と思う朝はあるけれど出勤するのがイヤだと思う事がほとんどないという不思議。

毎日おいしい和食を食べて、まったく運動してないのに、体重が10kg落ちました。(あと残り5kg!でもアラサー女子の体重はびくとも動きません!)

そして、バンコク移住前にはまったく想像していなかったうれしい出来事。

それは日本、インドネシア、ベトナム、さらに香港やシンガポール、マレーシア、オーストラリアなどからも、今までの人生で出逢ってきた愛すべき友人たちが老若男女問わず、わたしを訪ねてバンコクまで来てくれること!(おそらく、わたしの魅力というよりバンコクの魅力…笑)

日本の地方都市よりもよほど都会!バンコクには便利な”日本”がある

きれいな電車があるけど、普段はバイタク(バイクタクシー)乗っちゃいます。駅まで行くのがめんどくさくて(タイ在住者あるある)※こちらは旅行中にバイタク初体験のお友達の写真

世界各国からのExpatや旅行者たち、実にさまざまな人種、国籍のひとびとに出会える都市バンコク。非常に快適な毎日を送っています!わたしが就活する国を選ぶ際にアドバイスくださった方々、アドバイスを真面目に聞かず、すみませんでした。タイ最高です。

そうだ、移住しちゃえばいい!

地元を飛び出し、日本さえも飛び出し、東南アジアを3ヵ国、転々としてきた私の気づき。

自分ひとりでがんばって、狭い価値観から抜け出せず苦しんでいるなら、そんな価値観の通用しない”どこか”に「移住」しちゃえばいい。

物理的(オンライン上も含め)自分が長時間身を置くことになるコミュニティが変われば、付き合う人達も変わり、そこで通用する「常識」も変わる。

人間って結構単純だから、その考え方に影響されて、自分の価値観もあっさり変わっちゃうものだから。

逃げだと言われるかもしれない。

でも、それでもいいんじゃない?

全員にとって共通の楽園なんてこの世に存在しないけれど、”自分にとって”の楽園なら存在するはず。自分らしく生きられる国や都市。呼吸しやすい場所。

もし日本で生きづらいなら、ちょっと近くの海外に住んでみたらいいと思うの。

本当にどこでもいいと思うんですよね

わたしのブログタイトルは「海外移住女子」ですが、みんな海外移住しようよ〜!と煽りたいわけでは、もちろんありません。向き不向きは当然あるし、日本でやりたいことがやれているなら素敵なこと!

初対面の方からは「東南アジアが大好きなんですね!」とよく言われるのですが(この経歴を見たらそう思うのも無理はないですよね)、実際はジャカルタ就活旅以前のアジア渡航歴は、シンガポールと香港のみ。

大学時代、仲の良い同級生たちが「東南アジアでバックパッカーしてくる!」とか「インドネシアの農村でボランティアで井戸掘りしてくる!」と言ってイキイキと、バックパック背負って飛び立っていくのを見ながら、「へえ、インドネシア行くんだね!気をつけてねー!」と送り出しながら、当の私は、東京でラクロスに励み、夜の街で飲んだくれていただけなんです。

当時はインドネシアがどこにあるかさえ知らなかったというのは、ここだけの話(笑)

そんなわたしも偶然が重なり、「こっちのほうが面白そうかも!」とアンテナにひっかかったほうに何も考えずに進んでいった、住んでみたら「呼吸がしやすくなったなあ」と感じた、それが偶然に東南アジアだった…という、行き当たりばったり。もちろん、今でも日本は大好きですし、一時帰国前には「日本で何を食べようかな♡」と考えてわくわくしているくらいです。

わたしが常に心がけているのは「自分で決断すること」。自分で決めて選んだことなら、がんばれる。自分の人生に責任を持てば、逆に人生もっと楽しくなると信じています。(というような話を親友にしたら、「むしろ、自分で決断しない人なんているの?笑」と言われてしまいましたが。類友…)

「医者になれなかったら人生終わり」

父がそんなことを全く思ってないのも知っていますし、わたしに一度もそんなことを言ったこともありません。

「オレに似てるから頭いいはずなんだけどなあ、医学部には縁がなかっただけだね」なんて笑いながら、わたしがやりたいことを常にサポートしてくれているし、バンコクも大好きになってくれました。(ジャカルタには、1度も来たがらなくて、母ばかりを派遣してきました)

でも医学部に合格できなかったわたしは、医者になった同級生達よりも自分は劣っている、わたしには何もない、彼らには恥ずかしくて二度と会えない、わたしはなんてバカなんだ、こんなださい人生なんて、と勝手にコンプレックスを抱えていました。

両親の期待に応えられていない、親不孝な自分を責め続けていました。このコンプレックスを一生引きずっていくのか、つらい、と本気で思っていました。

「医者になれなかったら人生終わり」?そんなわけない!たのしく生きてるよ

父と。8月のフィレンツェにて。

けれども全部自分で決めて、縁もゆかりも憧れもなかった東南アジアで働き、暮らし始めてから、こう思うようになりました。強がりじゃなくて、心から。

医学部に入れなくても、わたしの人生はこれでいい。
医学部に行ったら出逢えなかったような、魅力的な出逢いにあふれている。

医者になった友人たちの人生は素晴らしい。
医者になれなかったけど、東南アジアでドタバタやってるわたしの人生も素晴らしい。

どっちもイイネ!みんな自分の持ち場で幸せになれたらいいよね!

悩んでいたのがバカみたい。ほんとにラクになりました。

そんなわたしの楽しそうな姿を見て、両親も非常に喜んでいます。(あ、でも彼らの経済観念からすると、東南アジア現地採用のお給料が低すぎて、娘は極貧生活してるのでは?と心配されていますが、大丈夫です。ご心配なく!)

かなり時間がかかってしまったけれど、親不孝物語もそろそろ終わりに近づいたと信じたい(笑)

これからは「親孝行物語」をスタートさせたいと思います。

世界のどこかでお会いしましょう!

現時点のわたしが目指しているのは「好きなひとと一緒にいられるスキルを身につけること」

言い換えるなら、世界中どこでも生きていけるような収入源を確保すること。

好きなひとって、もちろんパートナーであり、家族であり、友達であり。「Yukaもおいでよ!」と誘われた時に、うん、わかった行くね!とフットワーク軽く動けるようになりたいんです。

「そんな生き方、できたらいいよね。でも…」

昔のわたし、いや、数ヶ月前のわたしならそう言って、『でも…』に続く言葉をいくらでも重ね、そんな想いを見ないふりして、理想のライフスタイルを手に入れた人たちのSNSを見てはため息をつき、週末までのカウントダウンをしていました。でも、それはもう、過去のわたし。

自分が動くことで知り合えた人々、彼らとの出逢いに感化されて、今また何か新しいことが始まりそうでわくわくが止まりません!どこまでいけるかわからないけど、いけるとこまで行ってみよう、そんな気持ち。

まだ具体的に決めていませんが、自分の心の声が聞こえた時にさっと動けるように、身軽に国を移動できるように、身の回りのものを減らしています。あとは体重をもう少し減らしたい(笑)

長々と、お恥ずかしい過去を披露してしまいましたが…

『海外移住女子』なんてブログタイトルをつけてしまいましたが、「海外生活にチャレンジしたいけど勇気がない…そんな女子たちの背中を押したい!」

実はそうゆうことは全く思っていなくて。わたしには、押す力なんてないから。

誰かの背中は押せないけれど、わたしの実体験から得た学び、情報、気づき。

そして、わたしのまわりの「海外移住女子」たちの、全然キラキラでもなんでもないリアルな姿を、このブログで発信していくことで、何かお役に立てるなら。

このブログを読んでくださっている「あなた」が、そんなわたしたちを見て「自分にもできそう!その手があったか!」と参考にしてくれたり、「こうゆう風にはなりたくないから、もう少しがんばろう(笑)」と反面教師にしてくれるなら。

そして遠くない未来、「わたしたち」が世界のどこかで会えるなら。

それってとても素敵なこと♡

「やっと会えたね!」って笑って乾杯しましょう!

世界のどこかで待ってます!

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7 件のコメント

  • wasabiさんのメールマガジンからこのブログに来ました。このプロフィール、とても良いですね。つい読み入ってしまいました。よし私も頑張ろうっと!

    • Kissaさん
      コメントありがとうございます♡
      wasabiさんのメルマガ読んでくださったんですね。すごい長文ですみませんでした(笑)
      わたしもKissaさんのようなコメントいただけると「よし私も頑張ろうっと!」となります!
      更新頻度低めですが、またブログに遊びにきてくださいね。

  • 海外移住女子というワードから見つけました。海外移住された女性のバックグラウンドは様々だと思います。私も海外移住女子のひとりとして、Yukaさんのblogを通して、いろんな方のストーリーを楽しみにしています!

    • 不良OLさん
      コメントありがとうございます♡
      不良OLさんのblog拝見させていただきました!シンガポールにお住まいなんですね!
      ブログタイトル、記事内容もさながら、お写真がすごく素敵で見入ってしまいました。
      いつか「突撃!隣の海外移住女子!」コーナーでインタビューさせていただけたらうれしいなあ、なんて。
      MISSING GIRLのblog更新楽しみにしています!

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